- 「電子教科書」巡りホットな論争 子どもの人格形成ゆがめるか
電子端末を小中学生に配って「電子教科書」として利用する構想が本格化しつつある。電子教科書で映像などを活用し、学習効果が上がるとする見方もある一方、「人格形成にゆがみが生じる」などとする慎重論も根強い。
- 出版社が早急に実現すべき電子教科書とは
教科書の上からネット上の有用な情報にリンクを貼ったりして、活用できるようにすれば、「情弱」な人でも、情報を活用する方法を自然と学べるようになるはずだと思う。
電子教科書でも、コンテンツを作る人の重要性は変わらない。この強みを更に伸ばすような機能を付けた電子教科書を早く作ることで、優良コンテンツを作る人を教科書に誘致できる
- 電子教科書再考
バズワードに良く解らんけど同調している大部分のエライ人は使ったことすら無いくせに、しかもユーザ(児童・学生)の目線・リテラシを考えないで自分たちの都合だけであーだこーだと机上の不毛な空論をしてお高い人件費(税金)を浪費しているはずなので、是非この機会に使って欲しい教材があります。(て、Linux教科書じゃ無理か・・・)
- ここにもiPadの衝撃、「電子教科書」が書店を殺す?
官民挙げて電子教材の普及を後押し
教科書の販売は「最後の砦」
教科書の電子化で中堅中小書店の息の根が止まる?
まあ確かに電子メールが普及した今の職場では、主要な連絡は電子メールで、隣の人に伝言を残すのも電子メールっていうキチガイみたいな現象が起きていることもあって(過去を含む自分の職場ではありませんよ、念のため)言わんとしていることはわからないでもない。
とはいえ道具って言うのは結局は運用の仕方を工夫していくしかない。たとえば、、、
「電灯なんて言うのはけしからん。 自然と共に生きるのが人間の正しい生き方で、暗くなれば寝る、明るくなれば起きるようにすれば良い。子供は電灯なんてものがあるから、夜更かしをする。」
とか
「本はけしからん。元々人間は口頭で物語や必要な情報を伝承してきたのだ。そういう息づかいをのぞいた紙に印刷された情報は、何の価値もない薄っぺらいものだ。本なんてものがあるから、人の話を聞かないし子供の目が悪くなる。」
とか言い出したら、きりがない。こう言う反対論はほとんど言いがかりに近い。ちょっと前はゲーム脳とかありましたね。
話を電子教科書に戻します。
最大のメリットは何か。それは重い教科書を持ち歩かなくても良いことです。経済学の教科書は重くて高くてたくさんあるものを授業ごとに持ち歩く必要があります。でも、実はもうiPhoneを利用して教科書の必要な部分をいくつかカメラで撮って使っている人がいました。それは中国人の留学生の人だったんですが、素直に頭が良いなと思いました。検索も多少ながらかけられるし、どこでも見られるし。検索と言えば、電子教科書に限らず電子ものはパラパラできない、というかやりにくいですが、検索の方がずっと良いツールです。さらにいうと、過去に自分がページを見た日時をに検索できるとか、もっと検索機能に磨きがかかれば、パラパラもいらなくなるような気がします。
批判的な人はなんでも、google先生に聞いたら問題の答えがわかるという人がいますが、さあそれはどうでしょう。そんなに簡単に検索で答えが見つかるならば、私はあんなに宿題で苦しまなかったはずです(笑)そりゃもちろん単純なものは見つかりますし、典型的なものは見つかるかもしれません。でも自分の頭できちんと考えて回答を書くという行為は、検索して簡単に答えが見つかるものではないのです。また問題を出す側の先生も、そういう風に調べたらわかるような宿題ではないものを、出すようになるかもしれません。
これは高等教育だけに限定されません。過去に自分が学んだ教科書すべてを持ち歩けるというのは、実に画期的です。過去にやって忘れていたこと、習熟しきっていないことを教科書の紙面の都合無しに、いつでも自分でふり返られるからです。さらにいうと、今後工夫をしていくことで教える側の先生の助けとなるようなコンテンツ作成も進むでしょう。要するに、先生が黒板で下手な図で三次元の絵を描いて、説明するよりも、TAの人がコンピュータシミュレーションで三次元グラフをリアルタイムに動かして説明する方が、実はわかりやすかったりします。ちょっと古い話かもしれませんが、(副業で)eラーニングの教材を作っている人が前の会社にいました。社長だったんですが(笑)その方は化学とかの教材でわかりやすく学びやすいものを作っていました。画面上での化学実験の擬似的な再現などのコンテンツがあったみたいです。
つまりまとめると、動的なコンテンツと膨大な情報量へのアクセスこそが最大のメリットです。
デメリットもあります。それは教える側の先生も大きく変わらなければならないでしょう。つまり口頭と黒板による伝統的な教授法から、開発援助の現場で行われているような参加型の教育方法に変えるなどです。先生からの情報の伝達という観点から、どうがんばっても先生の話術と黒板だけでは、デジタルコンテンツに勝てなさそうです。参加型も画面を見ながらネットワークによる多人数参加のツールなどは簡単にできるとは思いますが、体を動かすとかもっと原始的な感性に訴えかけて、学んでもらうには先生が必要です。また、中小中堅の書店など流通過程にある企業は淘汰されるでしょう。しかし、メリットを取らずに、今いる人たちの痛みを最小化しているだけでは、進歩はありません。何とかがんばって日本国内の公教育だけ死守しても、塾とか抜け穴はいくらでもあるし、日本以外の国が採用して(逆に全然採用されないならたいした技術ではなかったということ)グッドプラクティスがたくさん出てくると、どうなるでしょうね。
と言うことで、人格形成のゆがみを気にするよりも、メリットをもっと真剣に議論した方が建設的なのではないかと思われます。
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